ねむいひのはなし

 講義が終わり、プロデューサーに伝えられていた打ち合わせの時間まで何をしようかとぼんやりと考えながら大学を出た。
 本屋では時間が余るし図書館やカフェで時間を潰すのもあまり気乗りがせず。些か早すぎる気もしたけれど事務所にいけば誰かしらいるだろう。あの場所は妙に居心地がいいせいか、暇をもて余した面々が飲み物や菓子を持ち寄って雑談に興じていたり、以前の仕事の確認のため録画していた映像を流していることも多い。
 今後の参考になる話が聞けるかもしれないし、そうでなくとも暇をもて余すことはないだろう。誰もいなかったとしてもあそこの本棚には色々と気になってる本もあるから、とどこか言い訳がましいことを考えながら事務所に向かう。

「おはようございますー」
 本来ならこんにちは、と言っているはずの時間帯だけれど、常に同じ挨拶になったのはこの事務所に入ってから。
 初めは馴れなかったものが今では日常に溶け込んで来ていることに少しこそばゆくなる。
 ――非日常が、日常に溶け込んだといえば

「よう、北村。早いな」
「その僕より早く来てる人には言われたくないかなー」
 それもそうか、といつものデッキブラシを抱えたまま笑う目の前の狐と、もうひとり、ここにはいないひと。
 どちらとも、ここに来なければ出会うこともないような二人で。つくづく縁とは不思議なものだとおもう。
 それにしても、
「雨彦さんがこんなに早くから来てるなんて珍しいねー」
「そろそろ大掃除の時期だろう、だから本腰をいれて事務所の掃除でもしようかと思ってな」
 普段持ち歩いているデッキブラシとは違う、日頃よく見かけるごくごく一般的なはたきを見せつけるように振る姿に首をかしげた。しかも傍らには掃除機を携えている。
 掃除と言ってもいつものどこか含みを持たせたものではないことはわかったが、大掃除前だからというのはどうだろう。
 まだ12月に入るかどうかといったところだけれど、と見上げてみれば。
「ん?お前さん長期休みの宿題は最終日にまとめてやるタチかい?」
「別に――」
 唐突なからかい混じりの問いかけを否定しかけてそうか、と頷く。
 暇を見ては目の前の掃除屋を始めとした誰かしらがこまめに掃除をしているから、そこまで気合いをいれる必要もない気もするのだけれど。そこはそれ。本人が好きでやっているのだから口を出す必要はないと口をつぐむ。
 手伝いは――大掃除当日でいいだろうか。今人手が欲しいと言うなら別だけれど。そうでもないところにわざわざ首を突っ込むほどお人好しでもなし。
 手伝う気はないけれど、邪魔するつもりもない。大人しくソファーへと移動して眺める体勢に入れば喉奥で笑う音。
 それを聞こえないふりをして眺めていれば面白がる様を隠さずに、けれど予定よりも早く入室してきた僕の影響で中断していた掃除を続けることにしたようで。
 上から下へ。よどみなく動く姿に流石に手慣れてるな、と感心する。掃除屋の看板に偽りなしといったところか。
 ぼんやりと眺めていると時折ふっと動きを止めるから。始めは何かが見えているのだろうかと、気になるものでもあるのかと、動きが止まったところ、目線の先を同じく観察していたのだけれど。どこか様子がおかしい気がして。
 動きを止めているというよりも……単純に、なにかをかみ殺すような。加えて不自然に多いまばたきの頻度。その様子は――
「……眠いのー?」
 はっと息を飲んで振り返った瞬間目を見開いていて。目元を緩めて困ったように眉を下げる。些細な悪戯でもバレて気まずそうにするようなさまが余計、日頃見ている姿との違いを浮き彫りにする。
「そうだな……最近少し、寝不足が続いてな。北村は、眠いときどうしているんだ?」
「……眠ればいいんじゃないかなー」
 まだ打ち合わせまで時間はあるのだし、掃除だってなにもそんな調子の中するものでもないだろう。
 気になるのはわかるけれど、そのまま眠気を引き摺って仕事の話をしたところで本調子でない狐を相手するのはなんだか面白くない。
 幸い今は人がいないのだから仮眠くらい取ればいいと伝えれば。
「そうだな、それじゃあお言葉に甘えることにしよう」
 ふ、と緩んだ表情が珍しくて、つい、見惚れてしまって。
 二人掛けの、あまり広くもないソファの端に腰を掛けながら、こちらに倒れ込む頭を止めることができなかった。
「ちょっとー」
 足の低いテーブルを挟んで向かい合わせに配置されているソファーにはもちろん誰もいない。
 ただでさえ目の前のおとこの身長ではまともに横になることすら難しい幅のソファで。
 わざわざ自分が座る側にやってくる必要もない。ましてや膝枕だなんて寝るには向かない体勢を求めてくる理由がわからない。
 大体。男の、単なる仕事仲間の膝で寝てなにが楽しいのか。そもこんなところで眠れるのかだとか。今は偶然誰もいないとはいえ、この場を見た人に何を言われるか――何も言われなかったとしてもそれはそれで気まずいのだから、さっさと退いて欲しいとか。
 浮かぶ言葉を発することが出来なくて。

「甘やかしてあげるなんて言ってないんだけどー……」
 漸く声を、文句を音にのせることが出来たのは、膝の上から穏やかな寝息が聞こえてきた頃だった。

2017/09/18